春爛漫、桜を求めて
誰が言ったか「日本三大桜の名所」と言われている高遠城址の桜開花情報によると、4月19,20日の週末が最も見頃ではないかと言われていましたが、週末は交通渋滞が予測され、その上天気予報も良くなかったので、天気が回復する21日の月曜日から出かけました。
横浜を出る頃はまだ天気も回復していなくて曇り空でしたが、中央高速に乗って笹子トンネルを越えると青空が一杯に広がってきました。
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須玉ICから清春芸術村への道の途中に、茅葺きの屋根の民家があった。
清春芸術村の中にある清春白樺美術館の周囲には、染井吉野の古木が何十本とあり、それらの木が満開をやや過ぎた頃であったが、まだまだ花を一杯に付けて咲き誇っていた。
雪を冠った八ヶ岳連峰を背景にし、青空と雪と桜のコントラストが素晴らしかった。
桜の見頃は4月20日前後だろうと思われる。
ここの桜はあまり知られていないが、なかなか見ごたえがある穴場ではないかと思われる。
清春芸術村から小淵沢へ向かう途中に小淵沢の神田桜として知られている枝垂れ桜の古木が、畑の中にただ一本孤高を保つかのようにそびえている。
この桜は「神田の大イトザクラ」といわれ、エドヒガンの変種と思われる枝垂れ桜で、花色は多少紅色が濃く、枝は四方に下垂し樹形も良い。
幹周りが6.4メートルもあり、古来名木として知られている。
南に甲斐駒ケ岳、北に八ヶ岳を望む絶好のロケーションにあり、中央本線から小淵沢駅に入る直前の右側に見ることが出来る。
桜の見頃は4月の20日前後だろうと思われる。
週末は車の入場規制もあり、道路も狭く相当な混雑が予想される。
茅野から国道152号線で杖突街道を通って高遠へ向かう途中、右手の小高い丘の上に茅葺きの古いお寺があった。
高遠城址の桜は、平日であり人出もそれほど多くは無く、ゆっくりと見て回ることが出来た。
抜けるような青空にジェット機の飛行雲が鮮やかで、木曽駒ケ岳の雪と桜が見事なコントラストを見せてくれた。
古くから伊那谷の要所であった高遠城は別名「兜城」と言われていたが、明治4年の廃藩とともに取り壊され、その跡に旧藩士達が桜の馬場から桜を移植したのが始まりで、今では樹齢100年を超える古木を含めて1500本のコヒガンザクラが咲き誇り、「天下第一の桜」と称されるほどで県の天然記念物の指定を受けている。
「タカトウコヒガンザクラ」と言われているこの桜の花形はやや小ぶりで赤みを帯びた可憐な花びらである。
高遠のコヒガンザクラに別れを告げて、国道152号線の秋葉街道を南下して、左手に3000メートル級の雪を抱いた南アルプスの山並みを見ながら山道を登って行く。
プラドの高度計の指示がどんどん増えていき、分杭峠にさしかかる頃は1500メートルに達していた。
峠を過ぎた後は、鹿塩川に沿って山道を下り、大鹿村から先の地蔵峠では国道152号線が途絶えているので、小渋川に沿って西方向へルートを変更し、またまた山越えをして松川方面へ向かう。
国道153号線に入って、天竜川に沿って南下し、飯田からは国道151号線遠州街道に入って天竜峡に近づいた頃には、日も大分西に傾いてきたのでそろそろ今夜の寝場所を探すことにした。
幸い近くに道の駅「信濃路下条」と、そのすぐ近くに「コスモスの湯」という温泉があるので、今夜の宿泊場所はこの道の駅と決めた。
この道の駅は施設が充実していて10畳位の和室があって、この和室が一般に開放されているので、夕食はこの和室を借用することにして、こくまろカレーを食べる。
車の中で寝ていると、天気予報の通り明け方から雨が降り出してきたので、朝食は軽く車の中で済ませ、県道1号線を通って天竜川沿いに南下し、天竜奥三河国定公園を縦断し、佐久間ダムを経由して佐久間町に出ることにした。
新緑が小雨にぬれて実に美しい。
天竜川沿いの曲がりくねった山道を登ったり下ったりしながら、長野県を過ぎて愛知県に入り富山村まで来ると、その先の道路が崩壊していて修復工事のため通行止めで、佐久間まで行くことが出来なくなっていた。
東側に抜ける道路が無いので止む無く進路を西に取り山越えをして再び国道151号線に出ることになった。
鳳来町を通って浜松から東名高速道路に入ったが、約50km2時間のロスであった。
東名高速を焼津で降りて、焼津漁港の魚市場食堂でチョッと遅い昼食を食べたが、今の時期は桜海老のから揚げ定食は絶品である。.
後は一路横浜まで東名高速を走って帰宅し、2泊3日の放浪の旅はこうして無事に終わった。