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四国八十八ヵ所霊場巡りの旅

 四国霊場八十八ヵ所とは、弘仁6年(815年)弘法大師が42歳の時に、修行の場でもあった四国に仏道修行の場として、また人々の厄難を取り除く場所として四国霊場八十八ヵ所を創設したと言われています。
 大師の入定後、弟子や修行僧が大師ゆかりの地を巡拝し始めたのが四国遍路の始まりで、平安末期は修行僧や山伏が中心だったが、江戸時代に入ると、高野山の僧侶が四国霊場の縁起や道程などを載せた案内書を作り普及に努め、より一般化したと言われています。
 全工程は1600kmあり、「歩き遍路」こそが本来の姿であると思われますが、これには2ヶ月位かかりそうなので、今回は車で遍路を体験することにしました。

第1日目
3月17日仏滅の日、横浜を冷たい雨の降る早朝出発した。
浜名湖近辺まで来ると、雨も上がり青空が広がってきて、これからの旅の前途を祝福していてくれるようだ。今日は六甲まで行って一泊する。

第2日目
六甲を朝8時に出発、神戸淡路鳴門自動車道で、明石海峡大橋を渡り、淡路島から大鳴門橋を渡って徳島に入る。
霊場一番寺の霊山寺において、お遍路グッズとして、菅笠3000円、金剛杖1500円、納経用白衣3000円、白衣2000円、納経帳2500円、お姿帳2500円、輪袈裟2000円、数珠2000円、合計18500円也を購入。
これで何とかお遍路さんの格好だけが出来上り、10時30分いざ出発。
一番寺から順番に回って、この日は門限の5時までに11番藤井寺まで参拝できた。
各お寺では、納経帳への朱印300円、白衣への朱印200円を納めて、参拝した証拠の朱印を捺して頂く。これはスケールの大きいスタンプラリーだ。
この日の夜は、神山町の日帰り温泉に入り、近くの道の駅「神山」で初めての車の中で野宿することにした。
この道の駅には、同じような仲間で車の中で寝る人たちが結構多くいて、その車のナンバーは北海道から東北、関東、九州と全国に散らばっていて、お遍路の人気が全国的であることをうかがわせる。
この日は特に寒く、外気温は零度まで下がり、車の窓の結露が凍結していた。 道の駅は、駐車場はあり、便所は清潔で気持ちよく、水もあって申し分ない。


第3日目
寒い朝で、窓ガラスが凍っていて、起きるのがやや遅れて8時30分出発となった。
朝1番は山頂にある12番焼山寺から参拝して、最後は八十八ヵ所霊場の中でも難所と言われている21番太龍寺まで5時の門限寸前に納経を済ませ参拝することが出来た。この太龍寺は、剣山山系に連なる標高618m.の太龍寺山の山頂付近にあり、歩いて険しい山道を1時間以上歩かなければならないと言う八十八箇所霊場の中でも難関の一つであるが、今は西日本最長のスケールを誇るロープウエイで10分チョッとで頂上まで行くことが出来る。
この日も、鷲敷町の道の駅「鷲敷」で野宿、隣には昨夜の道の駅で会った札幌から車で来た中年の男性で、仲良くなった。
お遍路は回るコースが殆ど同じなので、初めに合った人とはその後至る所で会うことになり、お互いに顔見知りになることが出来る。
この日の夜は、昨夜の寒さがこたえたので、耐寒対策を充分に行ったため、快適に寝る事ができた。車の中での野営は、まんざらでもない。サンルーフ越しに冴え渡った月を見ながら寝るのは何とも言えず気分が良い。
ただ、夜中にトイレに行くのがチョッと億劫になる。

第4日目
昨夜飲みすぎたせいか、起きるのが遅くなって、やっぱり8時30分の出発となってしまった。
朝のコーヒーを飲んで、22番平等寺へ向かう。 23番薬王寺を過ぎて、「発心の道場・阿波の国」を後にして一路「修業の道場・土佐の国」の室戸岬へ向かう。途中歩き遍路さんを沢山追い抜いていったが、薬王寺から室戸岬の最御崎寺まで海岸沿いの道が75kmも続き、歩いていってはここだけでたっぷり2日はかかるだろう。
車で行けばわずか2時間弱であるが、歩き遍路の大変さを他人事ながら思い知らされた。
今日は27番神峰寺まで、6箇所の霊場を参拝し、洗濯物も溜まってきたこともあり、更に昨夜は風呂に入っていないこともあって宿を探すことにした。幸い室戸岬の国民宿舎へ電話したら、たまたま空きがあったので宿を取ることが出来たので、早めに宿に入ることにした。
室戸岬の展望台に立てば、350度位が海で、地球の丸さが実感できる。
ただ見えるのは果てしなき海と空ばかりで、弘法大師がこの室戸岬で修行して、その名を自ら「空海」と改めたことが何となく理解できるような気がする。
またここで見る夕日は、雄大でじつに素晴らしかった。
毎日天気は快晴で、明日も穏やかな春の日和のようだ。

第5日目
今日も快晴で気持ちの良い日和だ。ゆっくり朝食をとり定刻の8時30分に出発し、28番大日寺へは、室戸岬からはほぼ80km.海岸沿いの道を快適に走る。
高知に入って桜の花がちらほらと咲いているのが目に留まる。
この日は、21日のお彼岸なので墓参りの人が多く、各お寺は駐車場にも苦労するほどの混雑振りであった。このため今日は高知市近辺の6箇所の霊場を参拝して終わりとし、横綱朝青龍の名前の基となった青龍寺の近くの道の駅「竜の浜」で野宿する。
隣の車には若い二人連れで、話をすると浜松から来て沖縄まで行くとのことで、ずっと車の中で寝る予定だそうだ。
明日の天気予報では、午前中は雨の予報なので、朝はゆっくり寝て、雨が上がるまでお遍路は中止とする。

第6日目
今朝は予報どおり雨が降っているので、当分車の中で過ごすことにする。
10時過ぎても一向に雨は上がりそうに無いので、「グリーンピア横波」へコーヒーを飲みに行く。インターネットが接続できないのでメールも送れないし、ホームページも更新できないので、グリーンピアのフロントで頼んでみたが、電話回線がゼロ発信なので上手く設定できずに接続失敗。
昼過ぎになると雨も上がってきたので、昨日の続きの35番清滝寺から参拝を始め、37番岩本寺で早めに終了し、お遍路コースを外れて四万十川の源流方面に進路を変え、大正町の温泉を目指して山中に入る。
捜し求めてたどり着いた大正温泉は休業中で残念ながら今夜は風呂に入ることが出来なくなってしまった。宿泊場所は道の駅「四万十大正」に決め、今夜の食事のカレーライスを作る。
山中のせいか、かなり気温が下がってきて寒くなってきた。明日の朝はかなり冷えそうだ。
四万十川のせせらぎと満天の星を見ながら眠りについた。

第7日目
夜の天気が良く放射冷却のため朝はかなり冷え込み、外気温度は2℃で寒い。
ぐずぐずしているうちに、道の駅の従業員が色々な農家の生産物を持ってやって来てフリーマーケットの準備を始めたため、いつまでも寝ているわけには行かず、起き出してコーヒーを作り、鶯の声を聞きながら朝飯とする。
例によって出発は定刻になってしまった8時30分、四万十川沿いを下って中村に向かう。
有名な四万十川の沈下橋がいくつも見られた。その内の一つを車で渡って見たが、橋の幅は車の幅より少し広い程度で、欄干が無いので結構緊張する。地元の人達は、さすがに慣れていてすごい勢いで渡って行く。四万十川の川沿いの道は、国道ではあるが殆どすれ違いをすることが出来ない道幅で、対向車があると大変だ。しかし幸いなことにすれ違う車が少なく、また地元の人達は良く心得ていて、少し幅が広くなっている所で待っていてくれる。
中村市を過ぎ、四万十川が太平洋につながる所まで来て、いよいよ足摺岬に向かう。
昨夜は残念ながら温泉に入ることができなかったので、今日の参拝は38番金剛福寺と39番延光寺の2箇所にして「修業の道場・土佐の国」を後にして、早々と宿毛市の国民宿舎「椰子」に宿をとり、洗濯と入浴を済ませる。
この国民宿舎はどの部屋からも夕日を見ることができ、冬場には海水温度と気温の関係でだるま型の夕日を見ることが出来るそうだ。

第8日目
今日から、「菩提の道場・伊予の国」へ入る。
40番観自在寺から、43番明石寺の4箇所を参拝し、その後お遍路の道を外れて佐多岬に向かう。帰路、関鯵に匹敵する岬(はな)鯵を食べたくて、三崎漁港へ行って漁師に尋ねたら、生簀から生きた大きい40cm以上もある鯵をすくって、野締めと血抜きをしてくれた。
ここの鯵は全部一本つりの鯵で、貴重品だそうだ。
今夜の宿泊場所は、佐多岬の中ほどにある伊方町の道の駅「伊方きらら」とし、さっそく先ほどの鯵を料理して刺身で一杯やった。
魚があまりにも新鮮で、まだ甘みが少ないが、さすがは豊後水道の急流で育った鯵だけあって、その身の締まり具合はばっぐんである。
道路の左右は海で潮騒の音を聞きながら眠りについた。

第9日目
昨夜の雨も上がり、今日はいい天気になりそうだ。
今日は44番大宝寺から、49番浄土寺まで参拝したが、このうち45番の岩屋寺は絶壁をくりぬいてお寺が建立されており、見ごたえのあるお寺であった。今夜は道後温泉に宿をとり、久しぶりの温泉で旅の疲れを一掃することにし、有名な「坊ちゃんの湯」に入った。
有名な坊ちゃんの湯ではあるが、建物の外観は歌舞伎座のような雰囲気でいかにも小説の題材になりそうな感じであるが、中は町の銭湯と大して変わらず、混雑していて温泉雰囲気はいまいちであった。

第10日目
のんびりとして朝の出発は9時30分となった。今日もいい天気で暖かくなりそうである。
今日は50番繁多寺から始め、昼飯は今治市内の回転寿司で地元で獲れた魚の寿司を食べたが、なかなかこの寿司が美味かった。その後56番泰山寺まで参拝をして、今日も早々と終了することにした。
スーパーマーケットで食料品を購入して、今夜の宿泊場所は道の駅「今治湯浦ノ温泉」と決め駐車場に車を止めた。隣に一昨日佐多岬の道の駅「きらら」で野宿した時一緒になった群馬の男性がやってきてまた一緒になった。我々以外に自転車で回っている鹿児島の男性と徒歩で回っている男性が一緒になって、近くでテントを張り出した。
徒歩で回っている男性は「今回が121回目のお遍路だ」と言っていたが、ほんとだとすればすごいことだ。
道の駅の人が近くに温泉があると教えてくれたので、我々は宿泊場所を変更して、その日帰り温泉に行くことにして、そこの駐車場で野宿をすることにした。
明日の天気予報によると、午後寒冷前線が通過するので、一時的に激しい雨が降るかも知れない。朝のうちに出来るだけ参拝をして雨が降り出したらまた車の中で雨宿りすることにしよう。

第11日目
今朝は穏やかな暖かい朝だ。6時30分に起き出して、朝食は昨日立ち寄った近くの道の駅で取る事にした。
道の駅にいくと群馬の男性と自転車の鹿児島の男性は既に出発した後だったが、新たに千葉からワゴン車で80歳の母親と旅をしていると言う女性が、道の駅で野営をしていたので知り合った。
今日は午後雨になるかもしれないので、午前中に出来るだけ参拝を終わらせておくことにして、57番栄福寺から参拝を始めた。
60番横峰寺は、西日本の最高峰霊峰石鎚山の中腹標高700m付近にあり、四国霊場の中では3番目に高い所にある。杉の林が続く山道を延々と登っていかなければならず、風が吹くと黄色く見えるくらいに杉の花粉が飛び交っており、花粉症の人には耐えられない程である。
お寺の周りにはいまだ残雪があり、ぎっしりと生えている石楠花の花の莟も固く、外気温度は4度位であった。
5時の門限までに、伊予路最後の札所である65番三角寺の参拝を終えた後にかなり激しい雨が降り出した。
今夜は雨の中での野営はチョッと歓迎できないので、観音寺市の簡保の宿に宿が取れたので宿泊することにした。
ここも自然温泉母神温泉で、このところ毎日温泉に入っている。

第12日目
昨夜来の雨も上がって、今日も爽やかな晴れの天気だが、やっぱり温泉宿では朝のんびりしてしまって、出発は9時30分となった。
同宿していたお遍路さん達はとっくに出発していて、今頃は2〜3箇所参拝を終えていることだろう。
今日からは、四国第4番目の国である「涅槃の道場・讃岐の国」に入った。
今日の参拝は宿泊場所の関係でルートを少し変更して68番神恵寺から始め、66番雲辺寺に戻って最後は70番本山寺まで参拝した。
66番寺雲辺寺は八十八ヵ所霊場の中では最も高く標高927m.の山頂付近にあり、以前はバス停から徒歩で2時間以上も険しい山道を登らなければならない難所であったが、今はロープウエイで僅か7分で行くことが出来る。山頂ではいまだ残雪が多く気温は3度と低い。
昼食後天気が良いので、またまたお遍路コースを変更して、大歩危、小歩危、かずら橋を見に行くことにした。
夜は昨夜と同じ簡保の宿に泊まる。

第13日目
今日も快晴の天気だ。今日は頑張って少し早く出発し、出来るだけ参拝を済ませたいものだと思ったが、やはり出発は8時30分となってしまって、71番弥谷寺から参拝を始めたが80番国分寺までの参拝を終わらせることが出来た。
これであと一日で八十八ヶ所の霊場巡りを終わらせる見通しがついた。
夜は、道の駅「瀬戸大橋記念公園」に宿泊することにした。瀬戸内海に落ちる夕日が素晴らしく感動のシーンであった。
鰹のたたきで一杯やって、9時には就寝、ぐっすり寝込んだ11時ごろ、いきなりおびただしい車の騒音で目を覚まされた。
なんと暴走族が何十台と集まってきて車のエンジンをふかし、大声で騒ぎ立てるのでとても眠るような状態ではない。その上暴走族相手の屋台まで出てきて、まるでお祭り騒ぎだ。
どうすることも出来ず車の中で息を潜めているだけで、何とか早く立ち去ってくれないかと願うだけだ。ようやく立ち去ったのが午前2時ごろ、それからやっと眠りにつくことが出来た。

第14日目
昨夜はやや睡眠不足であったが、今日はお遍路最後の日になるので、頑張って8時に出発した。
81番白峯寺から参拝を始め、最後の「結願の寺」88番大窪寺の参拝を終わらせたのは2時ごろであった。
ついに四国八十八ヵ所霊場巡りを成し遂げることが出来、感激もひとしおである。
充実感が体内にみなぎり疲れも吹き飛ぶようだ。
寺まで行く石段の横に「八十八番結願所」の石標が建っていて、その前に佇んで感慨深げに石標を見つめているお遍路さんがいた。どの顔も晴れやかな笑顔である。
夜は、塩ノ江町の道の駅「しおのえ」に野営することにした。ここには多分暴走族も来ないだろうし、またすぐ近くに町営の「行基の湯」があり、温泉に入ることもでき、快適な野宿が出来そうだ。

第15日目
昨夜はたっぷりと熟睡し、朝起きたら熟年の男性が散歩していて声を掛けてきた。北海道の旭川から来た男性で、もう1ヶ月以上も一人で車で旅をしていると言う。
乗っている車は米国製のキャンピングカー「ロデオ」で、ずうっとこの車中で宿泊して、温泉が好きで各地の温泉を回っていて、自宅の庭には野天風呂まで作ってしまって、テレビでも紹介され、地元でも有名だそうだ。
一緒に朝のコーヒーを飲みながら、旅の話を色々としているうちに時間がたち、出発したのは9時を過ぎていた。
今日からはお遍路は無く、残りは真言宗の総本山高野山への参拝を残すのみとなった。
和歌山県の高野山へ参拝する前に、しばらく四国の観光旅行をすることにし、とりあえず有名な金刀比羅宮へ、600段を超える階段を登って参拝を済ませた。
夜は四国唯一と言われている100%源泉湯のホテル祖谷温泉に宿を取った。
絶壁の中腹にへばりつくように建てられた宿は祖谷温泉の一軒宿で、温泉は150m.下の谷底にあり、ケーブルカーで風呂に行くまさに秘境の温泉と言える。
谷底にある露天風呂は源泉そのままで、湯の温度は39.3度でややぬるく、硫黄の成分が湯の中に溜まっていて白く濁っていて、いかにも温泉らしい。

第16日目
今日は朝からしとしとと雨が降る生憎の天気となったが、特に予定がないので朝はゆっくりと出発した。祖谷温泉からの帰り道は、国道とは反対側の山道を通ることにした。このルートは国道のルートよりは池田町に出るには30分くらい短縮できる。しかしこの道路は現在工事中で1時間の内50分が通行止めとなるが、幸か不幸か雨のため工事は中止で通行止めは解除されていて通ることが出来たが、一車線の狭い道路で、対向車があると最悪50m.位バックしなければすれちがい出来る場所が無い。幸いにも一台の対向車に出会うことも無く国道まで出ることが出来た。
小雨が降ったり止んだりする中で、日本三大公園である「栗林公園」を見学することにし、高松に向かった。栗林公園に着く頃には雨も殆ど上がり、満開に近い桜を見ながら栗林公園内を散策した。公園内に生えている木々はどの木を見ても、歴史を感じさせる古木で、一本一本が盆栽のように手入れされていて見ごたえがある素晴らしい公園である。
高松を後にして一路鳴門へ向かう。今日は大潮の日なので鳴門の渦潮を見たいものだ。
鳴門について観潮船に乗って有名な鳴門の渦潮を見たが潮変後の時間が2時間以上経過していたため、渦の大きさは大したことは無かった。
その後小雨が降って来たので、徳島での野宿を変更して南海フエリーで和歌山に向かう。和歌山港到着が夕方6時35分、これから宿泊場所を探すのは、道の駅も近くになくチョイト面倒なので、高速道路に入ってサービスエリアで野宿することにした。高速道路のサービスエリアは24時間営業であり、トイレも綺麗で、暴走族も来ないし、食べ物は何でもあり、野宿にはお勧めです。

第17日目
サービスエリアの駐車場には、深夜は殆ど車は無かったが朝になったら車が多くなり目が覚めてしまった。
のんびりと朝食を取り、高速道路また元に戻り、高野山に向かう。
高野山の金剛峰寺は真言宗の総本山で、ここの奥の院には弘法大師の霊廟がある。
この高野山には、親鸞聖人の墓から、織田信長の墓、豊臣家の墓、前田家の墓、浅野家の墓など諸国の有名大名の墓があり、このお寺の偉大さを実感させられた。
八十八ヵ所の最後の参拝としてゆっくりと参拝し、龍神温泉に向かう。
和歌山県と奈良県の県境となる標高1300m.の道路の脇に残雪のある山の尾根道を約60km行くと、今日の宿泊場所の龍神温泉に着いた。.
桜の花が咲き始めたこの龍神温泉の露天風呂は、秘湯の名にふさわしい深山の温泉で、苦労してきた甲斐があった。
これで今回目標とした四国八十八ヵ所霊場巡りを、最後の高野山で締めくくることが出来、ゆっくりと温泉につかってあとはのんびりと横浜に帰るだけだ。

第18日目、第19日目
琵琶湖のほとりで桜を楽しみながら過ごし、4月5日出発した時と同じような冷たい雨の降る横浜に帰って来た。
出発時には全く咲いていなかった桜が、冷たい雨に打たれて散り始めている。

八十八ヵ所霊場巡りの感想
物見遊山気分で始めた霊場巡りであったが、途中からだんだん入れ込んできて、お寺に参拝すること自体が大きな目的となってきた。
それぞれのお寺では、灯明をあげ、線香をあげ、お札を納めて、般若経を読経して参拝が終了するが、今まで読んだ事も無い般若経も後半になるに従って結構上手くなってきた。
参拝者はやはりバスで団体でやってくる熟年の男女が多いが、中には高校生くらいの若者が、シェラフを背負って歩き遍路をしているのに度々出会った。
春休みを利用して野宿をしながら霊場巡りをしているのであろうが、何を思って霊場巡りをしているのであろうか?ゆっくりと語り合って見たい気がする。
また参拝者は、北海道から九州まで全国にまたがっており、霊場巡りの魅力の偉大さを思い知らされた。
各お寺に納めるお札には、住所と名前、参拝日時を書いて納めるのだが、参拝回数が4回までは白いお札、7回までは緑のお札、24回までは赤いお札、50回までは銀のお札、100回までは金のお札、100回以上になると錦のお札を納めることになっている。納札所では、金色のお札や錦のお札を時々見かけるが、全く敬服に値する。
100回以上お参りしていると言う人と話したが、殆ど病気(中毒)に近いものだと言っておられた。100回の霊場巡りをするには、いったいどれだけの費用と時間がかかるのだろうか?気が遠くなりそうだ。
しかし、自分の場合でも最初は物見遊山気分で始めた霊場巡りも、後半になると真剣になってきた事を考えると、病気だと言うのも何となく分る気がする。
それにしても、四国の人達はお遍路さんにはとても親切だ。お接待と言ってお茶やお菓子のサービスをしてくれるし、特に歩き遍路に対しては全てにおいてとても親切で、野宿なども安心して出来る。これも弘法大師の教えの賜物だろうか?

八十八ヵ所の霊場ののなかで、高い山の上に建てられている寺が多く、1000m.近い山の上に、1200年も前に広大なお寺を建立することの苦労は、エジプトのピラミットを建設するに匹敵するような大事業であったろうと想像される。
それが何箇所も建立されているのだからすごい。世界遺産に登録される価値が充分にあるのではなかろうか?
また参拝する人も、今はロープウエイが出来ていて、比較的楽に参拝できるが、車やロープウエイの無い時代にはどれほど苦労したことだろう。
今の所帰ってきたばかりでまた行きたいと言う気にはならないが、暫く時間がたつとまた行きたくなりそうな気がする。これが八十八ヵ所霊場巡りの魅力の秘密でもあり、お遍路中毒の元なのだろうか?