4月20日(第1日目)
満席のJAL-012便は、ほぼ定刻の17時30分に成田空港を離陸、一路カナダのバンクーバへと飛び立った。
ジャンボ機のエコノミークラスでの満席は厳しい。座席は中央部の内側だが幸い隣が古女房殿だからトイレにも遠慮なく行ける。これもがまんがまん・・・
B747−400機は、高度11300m.外気温度ー60℃の安定した気流の中を、偏西風に乗ってバンクーバーまでの約7500kmを、1000km./h近い速度で飛行して、
8時間掛けて同じ日の4月20日朝9時30分頃に無事に到着した。
バンクーバー空港のトランジット客の待合室で2時間近く待機し、再び機上の人となり約5時間掛けてメキシコに現地時間で夕方の6時30分ごろに到着した。
成田を発ってから15時間以上かかり結構疲れてきたが、まだまだこれは旅の始まり、これ位でへこたれてはおれない。
今夜はメキシコで一泊、先ずはマルガリータで乾杯・・・
女房殿は早くも高山病の気配あり・・・この先どうなることやら・・・
4月21日(第2日目)
朝8時30分バスでメキシコ市内観光に出発。
メキシコシティは、300年にわたる放浪の民アステカ族が、14世紀の中頃に神のお告げに従いテスココ湖上の小島に築いた集落が発展したもので、1987年には世界遺産に登録されている。この湖上都市は今でも沈下が進んでおり、古い建物の大統領府となっている国立宮殿やグアダルーペ寺院は1m近くも沈下し建物が傾いている。
グアダルーペ寺院
地盤沈下のため左 の方に傾いている。 |
カトリック三大奇跡
「褐色の聖母」 |
1821年9月16日の独立を記念して建てられた、金の女神のオベリスク |
チョット季節外れだが紫のきれいな
ジャカランダの花 |
メキシコシティ歴史地区を見た後は、貧民街を通り抜けてフリーウエイに乗り北に約50km行った所のラテンアメリカ最大の宗教都市国家であり、全盛期には20万人以上の人口を擁していたと言われているテオティワカンに向かう。
このテオティワカンは、1987年に世界遺産に登録されており、紀元前2世紀頃に建造されたとされる巨大なピラミッド群があり、アステカ人は「神々のいる都」と名付けていた。
世界で3番目に大きいピラミッドと言われている「太陽のピラミッド」は、高さ65m、底辺225mあり、その頂上には木造の神殿が築かれていたと言われている。
「月のピラミッド」は少し低く高さ46mであるが、このピラミッドの頂上からの眺めは最高で、「死者の道」から「太陽のピラミッド」まで一望に見渡せる。
両方のピラミッドに登るのはチョットきついがそれだけの価値は充分にあった。
昼食は市内レストランでアステカ族の民族舞踊を見ながらバイキングを食べる。
料理はそれほど美味しいとは思わなかったが、スープはなかなかいい味であった。
昼食後は、メキシコ古代文明の集大成であり、世界で有数の規模と内容を誇る「国立人類学博物館」を見学して本日の予定は終了。
ホテルに帰った後夕食をとり、再びバスに乗り深夜発のアルゼンチン・ブエノスアイレス行きの飛行機に乗るために空港に向かう。結構な強行軍だ。
太陽のピラミッド |
月のピラミッド
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月のピラミッドの頂上から、死者の道を望む |
ミイラの顔に付けられたマスク |
4月22日(第3日目)
早朝(深夜)1時15分に出発するアルゼンチン航空1371便は約30分遅れて離陸しコロンビアのボコダ経由でブエノスアイレスに向かう。
約5時間でコロンビアのボコダ空港に到着。ボコダで約1時間20分待ち合わせの間、有名なコロンビア・コーヒーを楽しんで再び機上の人となり、アルゼンチンのブエノスアイレスに着いたのは現地時間で午後2時30分、メキシコを発ってから13時間以上かかっている。
実にアルゼンチンは遠い所だ。時差が12時間で、日本とは丁度地球の反対側にあたる。空港から直ぐに市内観光に出かける。
ブエノスアイレスは川幅が最大200kmを越えるラ・プラタ河の河口付近にあり、南米最大の貿易港を有し、ヨーロッパの移民が多く「南米のパリ」と呼ばれている。
世界一の道路幅144mを誇る7月9日大通りを通ってレコレータ墓地を見学。
ヨーロッパのイタリヤから運んできた大理石で作られた豪華な墓は芸術品でもあり、現地の家なら2〜3軒は充分建てられそうな豪華さである。
タンゴ発祥の地「ボカ地区」を見学し、夜はオプショナルツアーの「情熱のタンゴショー」を見に行く。噂に違わず3時間近くの素晴らしいショーであったが、現地の物価から考えて15000円のショーはチョット高すぎないか・・・。
今日も長い1日であった。
ホテルでは丁度結婚式があり、深夜(早朝)まで大騒ぎで、出発時間かと勘違いしてあわてて飛び起きてしまった。これは地元の風習らしい・・・
レコレータ墓地 |
タンゴ発祥の地
ボカ地区 |
酔っ払いの木 |
情熱のタンゴショー |
4月23日(第4日目)
今日は比較的ゆっくりで朝9時15分出発して市内観光とショッピング。
昼食は少し早めにレストランで名物のアサード料理を楽しむ。アサードとはガウチ式の焼肉の事で、なかなか美味しかった。
食後は国内線の空港に行き、イグアスへ向かう。イグアスまで約2時間近く着いた時は夕方に近かったが、アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの三国国境のモニュメントを見学してホテルへ入る。
日本にいると他国と国境を接すると言う感覚を味わう事は無いが、ここでは3つの国がこの地点で国境を接しているのだ。
4月24日(第5日目)
8時30分発の朝1番のトロッコ列車に乗ってイグアスの滝を見に行く。
このイグアスの滝は1984年に世界遺産に登録され世界三大瀑布の一つに数えられ、滝の幅は4000m.もあり、落差は高い所では100mもある。
滝の最深部は大きくえぐれたように屈曲して「悪魔の喉笛」と呼ばれており、この滝近くまでは川の上に作られた遊歩道を1kmほど歩いて行く。
この遊歩道は昨年の大水で流されてしまい、しばらくは使用することが出来なかったが、今年再建されて「悪魔の喉笛」を見に行くことが出来るようになったそうだ。
両側から膨大な量の水が流れ込み、その轟音と迫力には圧倒される。 水しぶきが遊歩道まで激しく降り注ぎ、雨具を着ていないとずぶ濡れになってしまう。
残念ながらカメラの防水対策をして行かなかったので、写真撮影は割愛した。
その後、イグアスボートツアーに参加して滝の下から壮大な滝を見ることにした。ボートは右に左に大きく傾きながら滝の真下まで入って行き、頭から猛烈な水しぶきを受ける。
ボートツアーの後はトラックの荷台に乗ってジャングルの中をトロッコ列車の駅まで走る「ジャングルツアー」であるが、残念ながらジャガーやオセロットなどの珍しい動物にはもちろん、なんの動物にもお目にかかれなかった。
再びブエノスアイレスに戻り、国際空港からペルーのリマに向かう。
約5時間の飛行でリマ国際空港に着きホテルへ入った時は、日付が代わって深夜の2時に近かった。ホテルのテレビでは久しぶりに日本のNHKを見ことができた。
4月25日(第6日目)
昨夜(今朝)到着したのが遅かったので、今日の出発は11時とゆっくりであった。
今日はリマの市内観光で、最初に訪れたのが天野博物館である。この博物館はリマの名誉市民にも選ばれた故天野芳太郎氏が長年にわたって研究し、収集した土器、織物などが展示されており、日本人のガイドが説明してくれる。
なかでも素晴らしいのは、15世紀頃に栄えたチャンカイ文化の織物で、とても手で紡いだとは思われないような非常に細い糸を使った編み物やレース編みなどは、デザインも含めて充分現代でも通用するような見事な物である。
リマのセントロ(旧市街)地区は、1988年に世界遺産に登録され、アルマス広場を中心にして、スペインが征服した時に建てられたペルー最古のカテドラルや、ホワイトハウスならぬピンクハウスの大統領府、サン・フランシスコ教会など素晴らしいコロニアル建造物が建ち並んでいる。
海岸にある「恋人達の公園」には、恋人が抱き合ってキスをしている巨大なモニュメントが置かれていて、「やっぱりここは南米、発想が大胆だな〜」と感じ入ってしまう。
またペルーで忘れてはならないのは、やはりフジモリ大統領であろう。フジモリ大統領はテロ対策と教育に力を入れ、「1日に一つの学校を造る」と宣言して、400以上の学校を建設していまだに日系人や庶民階級の間では大変な人気があるようだ。
ペルー大使公邸事件の跡は、建物は全て取り壊されているが、いまだに弾丸の跡が残る門扉が残っていて、当時のテロとの戦いのすさまじさが想像できる。
今日は比較的のんびりとした観光で、明日のクスコの事を考えて、日本で処方してもらった高山病予防薬(ダイアモックス)を服用して早々に就寝する。
ピンクハウスと呼ばれる大統領府 |
ペルー最古の
カテドラル |
10年前の大使公邸事件の銃弾の跡を残す門扉 |
ミラフローレス海岸の恋人達の公園 |
4月26日(第7日目)
早朝(深夜)2時30分に起き、3時30分にホテルを出発し5時50分の飛行機に乗って、インカ帝国の首都クスコへ向かう。1時間後に標高3400mのクスコに着く。心なしか空気が薄いように感じられ、高地に身体を慣らすためホテルで休憩する。
薬が効いているのか女房も高山病の気配はなく一安心だ。
午後はクスコの市内観光に出かける。
クスコもやはりアルマス広場を中心に展開し、インカ帝国の栄華の名残とスペイン植民地時代の街並みを残す市街地は1983年に世界遺産に登録されている。
インカ帝国の太陽の神殿の礎石の上に建てられたサント・ドミンゴ教会は、1950年の大地震でスペイン人が建設した教会は崩れ落ちたがインカ人が建設した礎石の石組みはびくともしなかったそうで、今でもその見事な石組みを見ることが出来る。
インカ帝国の時代には、この太陽の神殿は黄金で飾られていたが、全てスペイン人が略奪して本国に持ち帰ってしまった。このため当時のヨーロッパの金の相場が大きく下がったと言われている。
ロレト通りには200mにわたり、かみそりの刃1枚も通さないと言われる精巧な礎石の石組みが連なり、石畳の道路と共にインカ時代の街並みを髣髴とさせる。
特に素晴らしいのは12角の石で、その全ての辺が隙間なくぴったりと寸分の隙もなく組み合わされており、インカ人の技術の高さがしのばれる。
この様な複雑な形状の石組は、単純な四角形の石組みと違って、縦横斜めの力にもずれる事がなく、強固な石組みを作ることが出来るのだろう。
実に理にかなっており、単なる美意識だけで作られた物ではない様な気がする。
クスコ郊外にあるサクサイワマン遺跡は、クスコの町が一望できる高台にあり、巨石を3層に積み上げて造られた要塞の跡だと言われている。
この城壁も圧倒的に数で勝るインカ人が少数のスペイン人に滅ぼされて大部分が壊されてしまった。
次に見学したのが聖なる泉と呼ばれるタンボ・マチャイ遺跡で、年間を通じて同じ量の水が湧き出しているが、この水がどこから流れてくるのか未だに分っていないそうだ。
ホテルの前にはマーケットがあり、いくつもの小さな店が軒を並べていて、見て歩くだけでも結構楽しい。交渉すれば大体言い値の半分近くまでは値引きしてくれるようだ。
夜はホテルのレストランで、哀愁漂うフオルクローレ(民俗音楽)のディナーショーを楽しみながらの夕食である。ツアー一行の中には高山病で食欲もなくかなり参っている人もいたが、幸い我々は薬のお陰で元気いっぱいである。
今夜もダイアモックスを飲む事を忘れないようにしなければ・・・
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見事な石組みが
並ぶ石畳の道路 |
かみそりの刃も通さないと言われている12角の石組 |
クスコの要塞跡
サクティワマン遺跡 |
高台より世界遺産
クスコの町を一望 |
4月27日(第8日目)
朝6時50分にホテルを出てバスで約3時間掛けてオリャンタイタンボ村へ行き、ここから先は道路はないので高原列車に乗り換え、ウルバンバ川沿いに約1時間30分かけてマチュピチュに着く。
ここからまたバスでつづら折の道路を30分掛けて約400m登った所に遺跡への入口があり、入場料は77ソーレスで日本円で3千円位か、現地物価と比較すればチョット高いように思うが、遺跡の保存のために相当な労力が払われている事を考えれば納得。
入口を過ぎてしばらく歩くと目の前に突然あのTVや写真で見た通りの空中都市が現われ感動してカメラのシャッターを押しまくってしまった。
このマチュピチュ山とワイナピチュを結ぶ標高2400m付近の尾根に建設された空中都市は1911年に発見され、1983年には文化と自然の両方の要素を兼ねた複合世界遺産として登録された。NHKの世界遺産人気投票では、トップにランクされている。遺跡の中は階段が多いが良く整備されており歩きやすく出来ているが、通路が狭いためにシーズンになると相当な待ち行列が出来るそうだ。
幸い我々が行った時は人出も少なく、スムーズに見学する事が出来た。
見事な石組みの神殿や住居跡、整備された段々畑など、見る者の目を奪うばかりである。またこれらの石組みに使われている花崗岩の切石は、どこからどうやって運ばれて来たのか、全くの謎である。
約3時間の見学で、後ろ髪をひかれる思いで帰路に着き、来た時と同じくバスと列車を乗り継いでクスコのホテルに帰る。
ウルバンバ川沿いに行く高原列車 |
世界遺産空中都市マチュピチュ |
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麓の高原列車と
茅葺き屋根の家 |
世界遺産クスコ市街の夜景 |
4月28日(第9日目)
早朝6時にホテルを出発してバスにて380km先の高原都市プーノへ向かう。
このバスルートとほぼ並行して山岳列車も運行されているが、週3往復で片道10時間掛かる。バスは途中の村や、今でも白骨が散らばっている古代インカの皇帝たちの墓跡シリスタニ遺跡などを見学し、美しいアンデスの雪山を見ながらのバスの旅は、7時間以上かかったがけっこう楽しくしく飽きずに過ごす事が出来た。途中のクスコとプーノの境界となるラ・ラヤは標高4335mあり、世界最高峰の駅がある。ここではアンデス山脈の最高峰クヌラナ山(5445m)や、雪を冠ったシンボヤ山(5300m)が素晴らしい景観を見せてくれた。
訂正:世界最高峰の鉄道駅は、2005年に開通した中国の青海チベット鉄道にあるタングラ駅で海抜5068m.にある。従ってこのラ・ラヤ駅は世界で2番目に高い所にある鉄道の駅と言う事になる。ちなみに中国の青海鉄道の最高地点はタングラ峠で標高5072m.である。
プーノのホテルにチェックイン後直ぐにチチカカ湖を船に乗って葦の島ウロス島へ渡る。
このチチカカ湖は海抜3890mに位置し、面積は日本最大の琵琶湖の約12倍あり、汽船の航行する湖では世界で最も高地にある湖である。ウロス島は葦(トトラと言う)を3mほど積み重ねて出来た浮島であり、この島にはウル族と呼ばれる原住民が合わせて700人近くが生活しており、島の中には学校から教会まである。
島と島をつないでいるのはやはり葦で出来た船でバルサと呼ばれており、船の漕ぎ手は女性ばかりで、どうもインカの民族は女性が働き男性は余り働かないようだ。
今日のホテルは5っ星のホテルで、夕食はチチカカ湖で捕れた魚料理だが、味はいまいちだった。
食後に高山病予防薬を飲もうとしたら、最初は女房と同じ量だけあったのに僕の方だけ残りが多いことに気が付いた。よくよく考えてみたら、どうやら別の常備薬と間違えて飲んでいたらしい。よく効く高山病の薬だと思っていたのに・・・・
世界最高峰の駅よりクヌラナ山を望む |
古代インカの皇帝の墓シリスタニ遺跡 |
チチカカ湖に浮かぶ葦の船バルサ |
海抜3900mに
ある街プーノ |
4月29日(第10日目)
チチカカ湖の夜明けが素晴らしいということなので、日の出前の5時頃に起き出し外に出たが、凄く寒いのでホテルの部屋に帰り窓から夜明けの光景を撮影する事にした。
しばらく写真を撮っていると、なんとカメラのバッテリーが無くなってしまった。全くの不手際で、急いで充電を始めたが残念ながら日の出の瞬間は撮る事ができなかった。
ホテルを6時30分に出発して、フリアカ空港からリマへ向かう。ここからは海抜の低い所だから高山病の心配もないだろう(?)。
リマからはバスでパンアメリカン・ハイウエーを南下すること約7時間・450km近く走ったところの広大な大平原(パンパと呼ばれる)の中にナスカがある。
今宵は早々とホテルにチェックインして、明日早朝のナスカ地上絵見学飛行に備える。
4月30日(第11日目)
朝一番のフライトに間に合わせるため6時30分にホテルを出発して20分程走ってナスカ空港に着く。
この日は幸いにも観光客が少なく直ぐに地上絵見学の飛行機に乗ることができた。
飛行機は5人乗りと、12人乗りのセスナで、我々夫婦は12人乗りの飛行機のグループに入ったが、5人乗りの飛行機の人で飛行機に弱いと言う人がいて、私だけ入れ替わってもらった。小さい飛行機の方は高度が低く揺れが大きいので乗り物酔いし易いのだが、写真撮影にはこの方が好都合だ。
アエロ・コンドル社のセスナ機は、高度200〜300mの低空飛行で地上絵の上を左右に大きくバンクしながら飛行し、ナスカの地上絵とその北方にあり最近になって新たに発見されたパルパの地上絵を見せてくれた。このパルパの地上絵上空はアエロ・コンドル社だけが飛行許可を得ているそうで、おかげで全部で15個の地上絵を見ることが出来た。
夢中でカメラのシャッターを押し続けているうちに1時間近くも経過し、最後に地下に造られた水路からの水の取り入れ口である渦巻状の道がついている井戸を見せてもらった。
我々の飛行機は、普通の遊覧飛行と較べて飛行時間が長かったようで、何かあったのではないかと心配されていたようだ。
これはきっと飛行前にパイロットに少し多目のチップをあげたことが効いていたのではないだろうか・・・・・・うまくいった。
地上絵遊覧フライトの後は、地上絵の研究家マリア・ライヘ女史が建造した観測やぐら「ミラドール」から地上絵を見る。高さ20mの観測台から見ると、ようやく近くの地上絵が識別できるが、地上からは全く分らない。
これらの地上絵は、地表の黒く変色した小石を取り除いて白い砂地を露出させて描いたもので、その溝の深さは10cm、幅は20〜30cm位のもので、近くで見たところ車のわだちのようにしか見えない。これで300mにも及ぶ巨大な地上絵をどのようにしてイメージしたのだろうか?
世界第8番目の不思議と言われるゆえんもうなずける。
ツアーが順調に消化できているので時間が余り、帰路の途中にあるナスカ文化の土器製作工房へ案内してもらった。昔ながらの製法を研究して再現している所である。
その後パンアメリカン・ハイウエーを北上してどこまでも続く荒涼とした南米最大の砂漠の中に忽然と現われるオアシス「ワカチーナ」(女王の涙と言う意味)のリゾートホテルで昼食をとる。
かってはこの様なオアシスがいくつもあったそうだが、今では唯一残っているオアシスだそうで、砂漠の中にこんこんと水が湧き出し池を造っている。
さらにパンアメリカン・ハイウエーを北上してリマに向かう。このハイウエーは南米チリーの先端からアラスカのアンカレッジまで延々と続く総延長17000kmに及ぶ世界最長のハイウエーである。
リマでは久しぶりに日本食の夕食を楽しみ、食後空路メキシコへ向かうため空港に行く。
夕方から霧が発生して飛行が危ぶまれる。
ここリマの海は南極からの平均水温14℃位の冷たいフンボルト海流が近くを流れているため「インカの涙」と言われる海霧が発生しやすく、その霧が空港の方に流れてくると飛行機の運航に支障を来たす様だ。
メキシコ行きの定刻0時10分発エアー・メキシコ19便は、飛行機がメキシコからの折り返し便であるが、リマ空港が濃霧のため着陸できず、エクアドルへダイバートしてしまった。
霧が晴れやっと飛行機がリマ空港に着陸したのは5時間遅れの4時過ぎであった。
すっかり待ちくたびれてようやく飛行機が離陸したのは早朝の5時前で、飛行機が11000mの高度でしばらく飛ぶと東の空が白々と空けてきた。
何ともいえぬ見事な色合いの朝焼けで、B737−400機のウイングレットに反射する朝日がとても印象的であった。
この光景を見られたことで、5時間の遅れは帳消しにしよう。
ナスカの地上絵
ハチドリ |
ナスカのパンパを
縦断するパンアメリカン・ハイウエー |
南米最大の砂漠 |
B737の翼端に反射する夜明けの光 |
5月1日(第12日目)
リマから約6時間の飛行でメキシコに11時前に着き、すぐにホテルにチェックインしたが、この日に予定していたオプショナルツアーの「ソチミルコ観光ツアー」はキャンセルした。
ホテルでしばらく休養した後、メキシコ市内の散策とマーケットを覗いてみる。
マーケットの一角は小さな店がぎっしりと並んでいて、見て歩くだけでも結構楽しく、お土産に寄木細工で作られたインカのカレンダーを買った。
夜はホテルのレストランでツアー最後の夕食をとり、旅行社の方からドリンクをサービスしてくれたので、女房の分までマルガリータを頼みすっかりいい気分になった。
5月2日(第13日目)
朝の6時にホテルを出発して、メキシコ空港から南米・メキシコの思い出を胸にバンクーバー経由で日本に向かう。
JAL−011便は定刻より30分遅れの10時45分にメキシコ空港を離陸し、5時間後にはバンクーバー空港に到着した。
バンクーバー空港で約1時間30分の待ち合わせの後、今度は満席に近い乗客を乗せて
ほぼ定刻の15時15分に離陸し成田へ向かった。
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5月3日(第14日目)
途中で日付変更線を越えて、高度12200m、外気温度ー61℃の中を時速900kmで飛行してほぼ定刻の16時40分に成田空港に無事着陸し、長いハードな旅の終わりである。
今回の旅は、スケジュール的にはかなりハードなスケジュールであったが、南米では奇跡的にも(添乗員いわく)飛行機、バス、列車などが予定通り運行され、その結果かなりの時間的な余裕が生じて気分的には楽であった。
また全行程において天候に恵まれ、一度も雨に遭わず素晴らし青空のもとで7箇所の世界遺産を見ることができいい写真を撮ることができた。
心に深く思い出に残る素晴らしい旅であった。
おわり