5000年前に栄えた古代エジプト、そのすぐれた文明の遺跡を訪ねる事は小さい頃からの夢であった。
日本ではその頃はまだ縄文時代の中期で、ようやく磨製石器が登場しまだ文字も金属も使われていなかった頃に、古代都市エジプトでは高等な文明が発達し、あのピラミッドが建設されていたのである。
このたび長年の夢がかない古代エジプトの遺跡を訪ねる事ができた。
残念ながら殆んどの遺跡の内部は写真撮影が禁止されているため、写真を撮る事が出来なかった。
1月27日(土)
エジプト航空のA340-200機は、15時05分ほぼ1時間遅れて成田空港を離陸し、高度11900mでソウル、北京の上空を飛行しゴビ砂漠を横断して一路エジプトの首都カイロを目指して順調な飛行を続けた。向い風が強いせいか速度は時速750km.前後で少し遅めではあったが安定した飛行であった。
エジプト航空は宗教上(イスラーム)の理由で機内ではアルコールのサービスが無いので、止むを得ず持ち込みのポケットウイスキーで我慢した。ちょっと淋しい・・・
カイロ着は現地時間で夜の10時40分、予定より約2時間遅れで飛行時間は15時間近くかかり、シェラトンホテルに入った時は夜の12時を過ぎていた。
最初から結構疲れる旅となった。
カイロの夜は気温が10度位で結構寒い。
1月28日(日)
朝6時30分のモーニングコールで目が覚め、8時にホテルを出発していよいよ憧れのエジプトツアーの始まりで、まずは古代エジプトを代表する世界遺産であるギザの三大ミラミッドだ。着いた時は9時前でまだ朝もやがかかっていてピラミッドの頂上はかすんで見えた。
これらのピラミッドは何のために造られたのか未だにはっきりしていない。 一つには王の墓であると言う説と、もう一つは公共事業として造られた王の威厳を表すモニュメントであると言う説が有力であるが、現地のガイドは「ピラミッドは王の墓」だと言っていた。
3っのピラミッドのうち最も大きいのがクフ王のピラミッドで、基礎部分の四角形の一辺が230m.で高さが146m.の世界最大の石造建築物である。
クフ王のピラミッドは1日300人限定で内部の見学が可能であり、盗掘の時に開けられた穴から入ると、見事に造られた石組みの回廊があり、これをを登ってゆくと王の玄室にたどり着く。この上はピラミッドの石の重力を軽減するための重力軽減の間が造られている。
なんと行っても不思議なのは、これらのピラミッドの基礎部分の方位が正確に東西南北に向いている事、傾斜角度が51.2°の正確な四角錘である事、平均2.5tもある石230万個をどのようにして積み上げたのか?内部の回廊や玄室や棺などは硬い花崗岩で造られているが、それらの石組みには全く隙間が無く実に精巧に造られている事などで、これらの遺跡が4500年も前に造られたとは信じがたい。
ピラミッドの表面は当初はきれいに磨かれた化粧石がはめ込まれて、頂上にはキャップストーンと言われる四角錘の笠石が置かれ、太陽の光を反射してきらきらと輝いていたそうだが、その後これらの化粧石は他の建造物への流用や盗難で今ではカフラー王のピラミッドの上部にその名残が残っているだけである。
ギザの
三大ピラミッド |
傾斜角が殆んど同じである。 |
朝もやの中にかすむクフ王のピラミッド |
クフ王のピラミッド |
カフラー王の
ピラミッド |
メンカウラー王の
ピラミッド |
クフ王のピラミッドの近くに「太陽の船博物館」があり、ここで発掘された世界最古の大型木造船が展示されている。この木造船は太陽の船と呼ばれ、亡くなったファラオの魂が天空を往来する時に使われるもので、4500年前に建造された木造の船が、使われていたロープなども含めほぼ完璧な形で復元されている。驚きだ。
日本の早稲田大学の吉村教授の調査隊が第二の太陽の船を発掘したが、この船は損傷が激しくまだ復元されていない。
ピラミッドの先でらくだに乗ってしばし散策。
カフラー王のピラミッドにはピラミッドから延びる参道や葬祭殿、河岸神殿、スフィンクスがセットになってピラミッド・コンプレックス(複合体)を形成している。
古代エジプトでは沢山のスフィンクスが造られたが、このスフィンクスが最大にして最古のものである。全長57m.の胴体部分は元々あった岩山を彫ったもので、その上に石灰岩で作った頭部を乗せたものと考えられている。
不思議な事にこのスフィンクスの胴体部分には雨の跡であると言われている溝が何本も走っている。
5000年前にこの砂漠ではかなりの雨が降っていたのだろうか?
ピラミッドの後は、カイロイスラーム地区の観光で、「死者の町」は現在も使用されている住居のように造られた墓地で、この中に実際に人が住んでいるのだ。イスラーム教は現在も土葬であるので、埋葬後しばらくすると死臭が漂うそうだ。外国人が中に入ることは禁止されているので入れないが、そうでなくても入りたくは無い。
ムハンマド・アリ・モスクは十字軍を阻止するために建てられた堅固な城壁の中に建設されたイスラーム地区の最大のモスクである。このモスクの天上の装飾は実に素晴らしい。
その後、エジプト考古学博物館の見学であるが、この博物館は観光の目玉であるので午前中は物凄い人でゆっくり見ることが出来ないそうだ。
幸い我々は午後の遅い時間だったので比較的観光客も少なく、一番人気のツタンカーメンの黄金のマスクなどもゆっくり見ることが出来た。
ツタンカーメンの墓の出土品は特別室に展示されていて、黄金のマスクからきらびやかな装飾品、110kg以上もある純金の棺、黄金の王座等目を見張るものばかりだ。
これらの見事な副葬品がなんと3500年前に作られたとは・・・・
ミイラ室では11体のファラオのミイラが展示されているが、空調などが特別な管理がされているからだろうが、部屋に入るとなんとなく背筋が寒く感じられた。
この博物館ではいくら時間があっても足りないが、残念ながら次の予定のため後ろ髪を惹かれる思いで博物館を後にした。

復元された
太陽の船 |
らくだに乗って
ピラミッド見物 |
スフィンクス |
ムハンマド・アリ
モスク |
モスクのドーム天井 |
エジプト考古学
博物館 |
夕食後寝台列車「ナイルエキスプレス」に乗ってアスワンに向い、20時30分にカイロを出発した。
寝台車は二段ベットの個室であるが、お世辞にもきれいとは言い難く、その上振動と騒音が激しいが、昨日からの疲れのせいかすぐに寝入ってしまった。
1月29日(月)
ナイルエクスプレスの寝台列車は朝の9時45分にアスワン駅に到着した。13時間の長旅であったが意外とよく眠れて気分爽快、天気晴朗。
アスワン駅からバスでピラミッドや神殿に使用された花崗岩の石切場を見学。
ここは一本岩の花崗岩で造られた記念石柱オベリスク(ギリシャ語で焼き串の意味)を切り出した所で、今も切りかけのオベリスクが残っている。この未完のオベリスクは最大規模のもので、長さ42m.、重さ126tと推定されるが、制作中にひびが入ってしまったために制作を中断して放置されたもののようだ。
3500年も前に、このような巨大なオベリスクを岩山からどのようにして切り出し、運搬し、立てたのか想像すら出来ない。
現在エジプトにはオベリスクは5本しか残っていなくて、22本がフランス、イタリア、トルコ、アメリカなどの海外に持ち出されている。
この後バスはアブシンベルへ向うが、全ての観光バス(全部で約30台位あった)は決められた時間に一箇所に集合して隊列をなし、その前後を軍隊の車に護衛されながら砂漠の中を260km行進する。
この地はエジプトの南スーダンとの国境に近く、そのために警戒が厳重なのだそうだ。
日本にいては想像できない状況だ。
アブシンベルには、ラムセス2世によりナイル川河畔の一枚岩を彫って建造された大神殿と小神殿の2つあり、アスワンダムの建設に伴い水没の危機にさらされたが、ユネスコの救済活動により現在の所に移設されたものである。
移設にあたっては、正確に元のままの状況を再現して修復などは行われていない。
大神殿の入口には、ラムセス2世の21m.もある巨像が四体並んでおり、内部の石室の壁には見事なレリーフが刻まれている。
神殿最深部の至聖所には、ラムセス2世の像と3体の神像が彫られており、年に2回春分の日と秋分の日に地平線から昇った朝日が至聖所まで射し込み、ラムセス2世の像と太陽の神の像を照らす。
なんと見事な仕掛だ・・・
小神殿は、ラムセス2世が最も愛した王妃ネフェルタリのために築いた神殿であり、正面にはネフェルタリの立像がラムセス2世の立像にはさまれて立っている。
ラムセス2世は、古代エジプトの王の中で最も華やかな王と言われ、数多くの建造物を造り、生涯に7人の王妃と数十人の愛人を持ち、200人以上の子供をもうけ、90歳まで生きたと言われている。
夜にはこれらの神殿がライトアップされ幻想的な光と音のショーを見せてくれた。
この日はアブシンベルのホテルに宿泊するが、ホテルも厳重な警戒がしかれており、入口で金属探知機の検査を受けさせられた。

未完のオベリスク |
アブシンベル大神殿 |
アブシンベル小神殿 |
神殿正面のレリーフ |
1月30日(火)
アブシンベル神殿の日の出を鑑賞するオプショナルツアーがあり、当然参加した。
日の出は6時34分、気温は10度以下でかなり寒く手袋が必要だ。ナーセル湖の向側から昇る太陽は実に幻想的で、その光が大神殿の巨像を照らし、回廊まで射し込んで回廊の右側だけを照らしていたが、残念ながら奥の至聖所までは届かなかった。
アブシンベルからアスワンまで、やはり軍隊の車に護衛されて隊列をなして砂漠の中を進む。アスワンダムの警戒は一段と厳重で、ビデオ撮影は許可されていない。
もしこのアスワンダムが崩壊されれば、カイロ市内は3m.水没するそうだ。
アスワンに到着後船でイシス島に渡りイシス神殿を見学する。この神殿もアスワンダムの建設に伴い現在の所に移設され水没の危機から救われた遺跡である。
アスワンはエジプト有数の観光地でナイル川沿いに建てられた高級ホテルも多く、アガサ・クリスティの「ナイル川殺人事件」の舞台となり、彼女が執筆したホテルもある。
今宵のホテルは、イシス島のホテルで、ファルーカと呼ばれる帆船に乗り、歌や踊りを楽しみながらホテルに着く。
ライトアップされた
大神殿 |
ナーセル湖から
昇る朝日 |
朝日に照らされた
大神殿回廊 |
アガサクリシティの滞在したホテル |
1月31日(水)
今日はアスワンからルクソールまでの間の古代王朝の神殿巡りの観光ツアーだ。
最初はコムオンボの神殿であるが、この神殿は紀元前1500年ごろに建造されたが、アレキサンダー大王に支配された後に改築され、ギリシャ文明の影響を強く受けた建造物となっている。
その後ローマ帝国に支配されキリスト教の影響を強く受けたため、神殿の壁面に彫られているエジプトの神々の見事なレリーフは顔を削り取られている。この神殿には、珍しいワニのミイラが安置されているが、見たところ大きなトカゲの干物のようだった。
次に訪れた所はエドフと言う所にあるホルス神殿で、この神殿はエジプト王朝の末期にハヤブサの形をしたホルス神に捧げた神殿として建造されたもので、エジプトでは最も保存状態の良い遺跡の一つであると言われている。30本の列柱と神殿の壁に彫られた見事なレリーフは見ごたえがあった。
コムオンボ神殿 |
コムオンボ神殿
の列柱 |
ギリシャ文明の影響を残した列柱 |
見事な深彫りの
レリーフ |
ホルス神殿 |

天空の神ホルス神 |
レリーフで飾られた列柱 |
壁全面に彫られた
レリーフ |
次にはナイル西岸の王家の谷へ向うのだが、時間がないため昼食はボックスランチでルクソールまでのバスの中で食べる事になった。
ルクソールのナイル川の西岸は、夕日が沈む死者の都として60以上もの王の墓所が建造された。
盗掘を避けるために岩山をくり貫いた奥深くに墓所が造られたが、殆んどの墓が盗掘されている。
唯一、ツタンカーメンの墓だけが盗掘を免れ、黄金のマスクを初め2000点もの埋葬品が発掘され、発見された時には20世紀最大の発見と言われた。それらの多くは現在エジプト考古学博物館の特別室に展示されている。
黄金の棺の中にあったツタンカーメンのミイラは、マスクや副葬品を剥ぎ取る時に損傷を受け、移動することが出来ないため、いまでも墓の奥の玄室の棺に安置されている。
ツタンカーメンの棺が安置されている玄室の壁面には、3500年を経た今でも見事な彩色のレリーフを見ることが出来る。
王家の谷の近くにハトシェプスト女王葬祭殿があり、ハトシェプストはエジプトで初めての女王で、この葬祭殿は自分のために岩山をくり貫いて造営した。何年か前にこの葬祭殿の前でイスラムの過激派が銃を乱射して日本人を含めた多くの観光客が殺された所である。
葬祭殿の近くに2体のメムノンの巨像が残っている。片方の像は地震によって崩れたが現在は修復されている。
夕方になりナイル川東岸のルクソール神殿のライトアップが始まったので、見学に行く。
このルクソール神殿は3500年前のエジプト王国最盛期にカルナック神殿の副神殿として建造された。
神殿の入口の第一塔門の前には、高さ25m.のオベリスクが1本立っているが、元々は左右2本一対のオベリスクであったが、1本はパリのコンコルド広場に移されている。
この神殿は610年のイスラーム成立後イスラム教のモスクとしても使われ、神殿の中にモスクのミナレット(尖塔)が共存している。13夜の月に照らし出されライトアップされた神殿と高さ15m.の大列柱廊は荘厳な雰囲気をかもし出していた。
メムノンの巨像 |
ライトアップされた
ルクソール神殿
第一塔門 |
13夜の月とライトアップされた大列柱廊 |
大列柱廊と
13夜の月 |

列柱廊の先に見えるイスラムの
ミナレット |

1本だけ残った
オベリスク |
今宵のホテルはルクソールの郊外にある高級ホテル ソフィテル カルナックで夕食は結構満足できた。
2月1日(木)
今日の観光の目玉はカルナック神殿である。
カルナック神殿は3500年位前にルクソール東岸に建造されたエジプト最大規模の壮大なスケールの複合神殿である。現在公開されているのはその一部でいまだ発掘が続いている。
広大な敷地内には巨大な石像やオベリスクが建ち並んでいるが、それらの中で特に圧巻なのはラメセス2世が造った134本の大列柱室である。列柱の円周は10mを越え高さは21m.と5階建てのビルに相当し、、見上げているとアガサクリスティ原作の映画「ナイル川殺人事件」で、上から巨石が落ちてくるシーンが頭をよぎり恐ろしいまでの迫力に満ちている。このカルナック神殿は建設当時には、昨日見学したルクソール神殿と3kmにおよぶ参道でつながっており、その両側には数多くのスフィクスが並びスフィンクス参道と呼ばれていたが、現在はその一部が残るだけで、その上には多くの民家が建てられている。
エジプト政府はこの参道を発掘し復元する事を決定して、多くの民家が1年以内に移設することになっているようだ。
ルクソールを後にして空路カイロへ向う。その途中飛行機の窓から、サハラ砂漠の中に建てられたいくつかのピラミッドを見ることが出来た。
カルナック神殿の
第一塔門 |
羊の頭を持つ
スフィンクス |

大列柱室 |

380tの赤花崗岩で造られたオベリスク |
倒れたオベリスクの先端部分 |
神殿内に住み着いている白いふくろう |

大列柱室 |
サハラ砂漠の中に見えるピラミッド群 |
カイロに着いた後は、有名なハン・ハリーリ・バザールを見学した。どこのバザールでも同じだが、狭い路地に土産物屋がぎっしりと軒を連ね通り過ぎるのに苦労する。狭い路地が入り組んでいるために、歩いているうちに方向感覚が狂ってしまい道に迷いそうになる。工芸品や金銀細工が値打ちだが、値段はおおむね言い値の半額以下が相場らしい。
ホテルはナイル川沿いのヒルトンホテルで、ホテルの窓から見られるサハラ砂漠に沈む夕日が素晴らしい。エジプト最後の夜はナイル川ディナークルーズである。
大型船に乗り、ディナーをとりながらベリー・ダンスやスーフィー・ダンスを楽しむものだ。
ベリー・ダンスとは、ベリーとは英語で腹部の事で、腰の部分を激しく振りながら踊るのでこの名前が付けられたそうだ。19世紀前後のイスラーム社会では「性的でいかがわしい踊り」とみなされ、一時衰退したが、現在は観光客の人気も手伝って復活したそうだ。スーフィー・ダンスとは、重いスカートのようなものを身にまとい、ぐるぐる旋回し続けることで一種のトランス状態になり、より神に近づけると考えられた。
それなりに楽しいディナー・クルーズであったが、私としてはライトアップされたギザピラミッドの光と音のショーを見てみたかった。夜空に浮かぶライトアップされたピラミッドの写真が撮りたかった・・・・・
カイロ市街地 |
ナイル川のむこうに沈む夕日 |
ベリー・ダンス |
スーフィー・ダンス |
2月2日(金)
いよいよエジプト旅行最後の日で、今日は一番のんびりと朝9時の出発である。
最初はエジプトの古都メンフィスへ向う。このメンフィスは5000年位前に築かれた古代エジプト最初の首都で、ここには広大な神殿群の遺跡があり、特にラムセス2世の巨像や、大理石製の見事なスフィンクスは見ごたえがある。
メンフィスの近郊には、世界最古のピラミッド「階段ピラミッド」があり、これがエジプトピラミッドの原型となったものである。このピラミッドはいまだ発掘中であるが、高さ10m.の周壁で囲まれ葬祭殿や祭殿などが併設されたピラミッド・コンプレックスとなっている。
この階段ピラミッドの少し南のダハシュールにピラミッド群があり、有名な屈折ピラミッドがここにある。
このピラミッドは途中で傾斜角が変わっているので、屈折ピラミッドと呼ばれているが、その理由は今もって謎のままである。
赤のピラミッドは、化粧石が剥がれた後が赤っぽい石のために赤のピラミッドと呼ばれているが、実際はそれほど赤くは感じられなかった。大きさはそれほど大きくはないが、美しい二等辺三角形をした「真正ピラミッド」である。
その後、カイロ空港へ向かう途中、カーペット・スクールを見学。小学生くらいの小さな少女がカーペットを織っていた。縦糸に一本づつ糸を結び付けて絨毯の模様を織り込んでいくのだが、その糸を結びつける速さは目にも留まらないくらいである。図案は全てあたまに入っているようで、織り込んだ後はきれいな模様が出来上がっている。しかし1平方メートルを織り出すのに少女一人で6ヶ月位かかるそうだ。
いくら人件費が安いとは言え大変なものだ。
カイロ空港では出発時間の4時間前に着いたが、待合室に入るまでに何回もチェックがあり、待合室に入ると、もう出ることは出来ないのだ。やはり日本は平和な国なのだと痛感する。
ようやくエジプト航空の飛行機A340−200に乗りで成田へ向う。
帰りは追い風のせいで速度は時速1000km.位で、11000m.の高度を順調に飛行し。、飛行時間は12時間弱であった。
ラムセス2世の立像 |
大理石の
スフィンクス |
屈折ピラミッド |
赤のピラミッド |
階段ピラミッドの
城門 |
階段ピラミッド |
絨毯を織る少女達 |
かまどでパンを
焼く娘 |
今回のエジプト旅行は忙しい旅ではあったが、多くの世界遺産となっている遺跡を見ることが出来、古代エジプトの時代を垣間見た気がしてとても充実した旅であった。エジプトは日本との間にマイナス7時間の時差があり、緯度は首都カイロで日本の屋久島とほぼ同じであるが、砂漠地帯なので昼間は暑いが夜はかなり冷え込む。夏場は日中40度を越える暑さで、観光には11月〜2月が最適である。
3月になるとハムシーンと呼ばれる砂嵐が吹き、数メートル先も見えなくなり交通が麻痺するそうだ。
またカイロ市内は車の往来が激しく、朝夕はひどいラッシュアワーとなり、その上交通ルールがあってないようなものだ。しかし道路には殆んど信号がなく、道路を横断するのは命がけである。
とても自分で車を運転する気にはなれず、ツアーに参加するのが最善のように思う。
「エジプトの旅日記」終わり